トレセン学園ってどんなとこ? ~Schools and Collegesの解釈をめぐって~ (未完)

   ウマ娘たちが通うトレセン学園に大学部たあることが噂されている。この噂の由来は、SSRサポートカード 駿川たづなのイラストに描かれている封筒である。この封筒には、日本語で『日本ウマ娘レーニングセンター学園』と書かており、注目する点はそのすぐ下に『Japan Umamusume Traning Schools and Colleges』と明記されてることである[1]。この"College"に大学の意味があるので、トレセン学園には大学ないしは大学部があるのだろう、そうまことしやかに囁かれるようになった。我々が実際に住む現実世界の日本の大学の英語名称を調べると、確かに大学名にCollegeを使用している大学をいくつか見かけるため、トレセン学園には大学があるという考察もうなずける。しかし、よくよくみてみると、多くの人が見過ごしてる一つの重要な事実がある。それは、正しくは"Schools and Colleges"であり、SchoolもCollegeも単数ではなく複数形なのだ。もし、"Colleges"を大学と仮定した場合、トレセン学園には複数の大学組織があることになるが、一つの学校法人が複数の大学を持つというのは少し考えづらい。例えば、教育機関として最も大きい「学校法人日本大学」ですら、大学は日本大学ただ一つしかない[2]。本記事では、ウマ娘 プリティーダービーにおいて現在与えられる情報を頼りに、トレセン学園とはどのような組織なのかを考えていく。

   現実の日本においては数多くの大学が存在する。大学を設置するためには、学校教育法第3条

学校を設置しようとする者は、学校の種類に応じ、文部科学大臣の定める設備、編制その他に関する設置基準に従い、これを設置しなければならない。

の法令に基づく必要がある[3]。さらに中学や高校とは異なり、大学は学術研究や高度な人材育成を担う組織であること、そしてなにより国際的に通用する学位を授与する機関としてふさわしい仕組みと質を担保しなければならない。そのために大学には、その最低限の満たすべき基準として「大学設置基準」の法令にも基づかなければならない。そのときに大学の名称を決める必要があるが、命名は設置者や経営者に委ねられ、大学設置の認可機関である文部科学省が干渉することはない。また、中学と高校とは異なり、大学は広く国際社会に通用することが求められるため、日本国内で通用する名前だけでなく、グローバルスタンダードに通用する英語名を決めることが重要である。もちろん中学や高校にも英語名があると反論もあるだろうが、大学の場合はそれとは事情がさらに異なり、大学の英語表記を学則に定めるところもある。例えば東京工業大学や金沢大学などは英語表記の規則を大学としてルールをしっかりと定めている[4,5]。つまり、大学の英語名称についても各学校が自由に定めるところであり、文部科学省が口を出すことはない、というよりも日本語名称に比べて英語名称はもっとルールが緩い。文部科学省の大学の設置等に関する御相談のサイトに名称の変更についてのQ&Aが記載されている。それを見ると日本語名称の変更については

名称変更前後で目的や養成する人材像,教育課程,授与する学位の分野等に変更がないことが前提です。なお,「大学設置基準」第40条の4等への適合性に係る専門的判断が必要であることから,名称変更を行う場合は大学設置分科会運営委員会の「事前相談」に諮るようにしてください。

とあるように、大学設置分科会運営委員会という組織に相談しなければならない[6]。一方で英語名称は

大学や学部等の英語名称のみを変更する場合は,大学設置室への手続は不要です(「事前相談」も不要)。ただし,英語名称を学則で定めている場合は,学則変更の手続を行ってください。

とあるように、文部科学省への通達は必要とせず、大学で学則を定めている場合は、それについては大学が個別に対応すればよい[6]。

   大学の英語名称の変更自体はここ最近でも行われており、近畿大学の英語名称はもともとは「KINKI UNIVERSITY」であったが、2016年4月1日から「KINDAI UNIVERSITY」へと名称を変えた[7]。この理由は、「KINKI」というワードが英語だと性的に異常な「KINKY」に聴こえることから、グローバル化を加速させる上で、英語名称がその阻害になるという判断からである*1。他にも最近あった事例としては大阪公立大学の英語名称だろう。大阪公立大学は2024年に、大阪市が運営していた大阪市立大学と、大阪府が運営していた大阪府立大学が合併して誕生した新しい大学である。この英語名称はもともとは"University of Osaka"であった[8]。しかしこれに対して英語名称が"Osaka University"の大阪大学は反対声明を発表し、一時期話題になった[9]。その際たる理由は、大阪大学の正式名称としては"Osaka University"であるが、海外では"University of Osaka"も定着しているため、海外の人にとっては大きな混乱を招く要因になるからだ。結局、この騒動を受けて大阪公立大学は"Osaka Metropolitan University"へと名称を変更するに至った[10]。とくに大阪公立大学の英語名称問題が象徴的であるが、文部科学省が英語名称のルールを定め管理していればこのような自体は起こらなかったはずである。むしろこのことは、英語名称は常識の範囲内で大学が自由に決められることの裏付けであろう。そのような事情はトレセン学園でも同じであり、トレセン学園の前身となる組織の英語名称は、現在のものとは異なる可能性はある。トレセン学園の歴史が育まれるなかで、大学が設置され、Collegesが付した新たな英語名称を決定したことも考えられるだろうが、そのことは現在のウマ娘のシナリオからはどうしてもよみとれないので、その点の事情は汲まないことにする。

   はじめに、本記事で一番取り上げたい単数形と複数形の違いに着目する。日本語から英語ないしは英語から日本語の機械翻訳は、AI技術の発展によって著しい進歩をとげている。一昔前の機械翻訳の代表格であったgoogle翻訳は、なにか参考になればよい程度であった。しかし、最近新たに登場したDeepLやみらい翻訳などの機械翻訳のサイトは、ちょっと前までは想像もつかなかったほどのエレガンスな文章を我々に提示してくれる。AIの発達によって今後ますます言語間の障壁が低くなることは想像に難くない。では、AI技術の発達によって、我々は英語の勉強は不要になるのだろうか。私の回答は、今後どんなに技術が発達しても、言語の勉強は必要である、むしろ今よりももっと英語の勉強が重要になるのではないかと予想している。私は仕事柄普段から英語で文章を書くことが多い。5,6年前までは誰かに英語の添削指導を受ける立場であったが、30歳になった今、後輩の英語の文章を添削する立場になっている。もちろん、翻訳ツールなどの使用は許可しているが、それでも英語の文章のチェックは事細かくやる。その理由は、内容が正しく英語に翻訳されているかを確かめることは当たり前であるが、さらに、文章作成者の意図やニュアンスがしっかりと英語の文章に反映されているかもチェックするためである。多くの人は日本語から英語への翻訳を、パズルゲームみたく、日本語の内容に沿うように、英語の文法にのっとてただ英単語を当てはめればよい、と考えるのではないだろうか。だが、本来言語というものは、長い歴史の中で徐々に根付いたものであり、言語はその背景にある文化、慣習、思想とも深く・密接に関わっている。非常に短い文章の翻訳であっても、文化の違いにより、話者が本来意図したニュアンスとは全く異なることもある。

   例えば次の日本語の英訳を考えてみよう。
・私はむかし飼っていた猫を思い出した
日本語ではこれ以上修正の余地がない文章である。しかし、この文章を書き手の想定通りに正確に英語に翻訳することは不可能である。ここで重要になるポイントが猫が単数か複数である。この文章だけを提示された場合、英訳の候補は次の4つがある。

  1. I recalled a cat I used to have
  2. I recalled the cat I used to have
  3. I recalled cats I used to have
  4. I recalled the cats I used to have

さて、みなさんはこれらの違いがわかるだろうか。この4つの英文を日本語に翻訳すると、全て"私はむかし飼っていた猫を思い出した"で十分に思える。しかし、英語ではこの4つの文章が含むニュアンスは決定的に違う。


[1]ウマ娘 プリティーダービーSSRサポートカード「 駿川たづな」, Cygames
[2]「日本大学 組織図」, (2024年5月3日 閲覧) https://www.nihon-u.ac.jp/about_nu/board/chart/
[3]学校教育法 第3条

[4]「国立大学法人東京工業大学における組織及び役職等の英語名称に関する規則」,(2024年5月3日 閲覧)  http://www.somuka.titech.ac.jp/reiki_int/reiki_honbun/x385RG00001303.html

[5]「国立大学法人金沢大学組織及び役職の英語表記に関する規程」, (2024年5月3日 閲覧) https://www.kanazawa-u.ac.jp/kiteishu/act/frame/frame110000055.htm

[6]「名称変更について」 (2024年5月3日 閲覧) https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/ninka/1368463.htm#:~:text=%E3%82%88%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8B%E3%80%82-,A.,%E6%89%8B%E7%B6%9A%E3%82%92%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84%E3%80%82
[7]「KINKI UNIVERSITY」から「KINDAI UNIVERSITY」へ 新大学英文名称プレート除幕式を開催 近畿大学 (2024年5月3日 閲覧) https://www.kindai.ac.jp/news-pr/news-release/2016/03/007750.html
[8]「新大学名称が決定し、会見を行いました」(2024年5月3日 閲覧)https://www.upc-osaka.ac.jp/info/topics/entry-02169.html#:~:text=%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E7%AB%8B%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%A8%E5%A4%A7%E9%98%AA,%E3%81%AB%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82
[9]「大阪公立大学の英語名称にかかる問題点について(第3報)」 (2024年5月3日閲覧) https://www.osaka-u.ac.jp/ja/news/topics/2020/08/20200806

[10]「大阪公立大学(仮称)英語名称のお知らせ」 (2024年5月3日閲覧) https://www.upc-osaka.ac.jp/info/press/entry-01677.html

 

*1:元ジャニーズのグループのKinki Kidsも、海外進出を阻む要因としてKinkiの名称に問題があるという声があった

ウマ娘のジェンティルドンナの手の力ってどれくらい?

ウマ娘のアプリがリリースされて3周年が経ちしました。
3周年の日に配信されたパカライブでは、新たなウマ娘がたくさん登場し、Twitter(現X)は大いに盛りあがりました。
すでに実装済みのウマ娘だけでなく、今回発表された新たなウマ娘もとても魅了的で、推しウマ娘がさらに増えてしまいます。
そんな数多くの魅力的なウマ娘のなかで、今回の記事は3周年で公開された新ウマ娘ジェンティルドンナに注目します。

ジェンティルドンナもいくつもの魅力がりますが、ウマ娘ユーザーの度肝を抜かれたのは彼女のパワーでしょう。
その発端となったのは、3周年目に公開された記念シナリオです。
このシナリオでは、雑誌の特集号の取材のために乙名史記者がいろいろなウマ娘のもとを訪れます。
そのシナリオにジェンティルドンナは登場します。
乙名史記者はジェンティルドンナの前にオルフェーヴルの取材をしていました。その取材のことを聞いたジェンティルドンナオルフェーヴルに対抗し自身の強さを証明しようとします。
そこでジェンティルドンナはおもむろに鉄球を取り出し、驚くことにいとも簡単に鉄球を潰してしまいました(図1)。それを見た乙名史記者も顔を青ざめるてメチャクチャドン引きしてきます。
しかし、鉄球を潰すためには一体どれだけの圧力が必要なのでしょうか。
すでに何人かの方が圧力を概算していますが、その多くは実験事実と合わない結果です。
本記事の目的はジェンティルドンナ鉄球をにぎりつぶすために必要な握力を概算することです。
ただし、鉄球を元の体積の半分以下に潰すことは、現代の技術では実験的な検証が不可能であるため、本記事の内容が物理的に正しいかどうかは判断できない問題です。そのため、こういったモデルを仮定すると、この圧力が算出される、以上のことは語り得ません。

図1 鉄球をいとも簡単につぶすジェンティルドンナと青ざめる乙名史記

ジェンティルドンナの握力を求めた一番有名でバズったのは柳田理科雄のポストであろう。
柳田氏は2024年2月27日にTwitterにおいて、次のポストをしている[1]。

柳田氏はジェンティルドンナが加えた荷重を114万tと、単純計算から求めている。これはYahooニュースでも取り上げられ、多くの人が知ることとなった[2]。

しかし、柳田氏のポストには計算方法が一切述べられておらず、加えて縮めるのに必要な圧力の体積弾性率も、圧力から荷重に変換するために必要な手のひらの面積も記載されていない。そのため、この計算が正しいかどうかを第三者がチェックすることはできないが、このポストを手がかりに、柳田氏の計算の再構成を試みる。
はじめに、用いた計算式である。みなさんご存知の通り、物質に等方的な圧力$P$を印加すると、物質の体積${V}$は減少する。そしてこのとき、初等的な材料力学のテキストをひらけば、物質の圧力変化${dP}$と体積変化${dV < 0}$の関係は次の式が紹介されている[3]。
$$
dP=-B_0\dfrac{dV}{V} \tag{1}
$$
ここで${B_0}$は比例定数で、体積弾性率と呼ばれる物理量である。体積弾性率は値が大きいほど圧縮するために必要な圧力が大きいことを表し、単位はGPa(ギガパスカル)を用いることが多い(圧力スケールについては後述)。鉄の体積弾性率の一般的な値は${B_0}$=100 ~ 170 GPaと広い値が報告されている[4]。手のひらの面積は、柳田氏が過去に自身が書いた記事で150 cm${^2}$だと仮定しているので、今回もその値を用いたと推察される[5]。ただし、この150 cm${^2}$は柳田氏が自ら誰かの手を測定し、そこから統計的な平均を求めたわけではなく、過去に誰かが測定した文献から引用しているはずである。しかし、柳田氏はそのもととなる引用文献を示していない。
以上の準備をもとに、柳田氏の計算を再現する。
計算は逆になるが、初めに荷重と手のひらの面積から圧力を求める。ここで重力加速度は9.8 m/s${^2}$とする。
$$
1.1\times10^{9} \,\textrm{kg}\times9.8\, \textrm{m}/\textrm{s}^2\div0.015\, \textrm{m} \sim 720\,\textrm{GPa} 
$$
したがって柳田氏が求めた圧力は720 GPa(ギガパスカル)である。ここでまた見慣れない単位が出てきたが、圧力スケールについては後で説明をする。さて、我々はこの値を目指し、式(1)を用いて再計算する。式(1)は微分方程式になっているため、この方程式を解き、${P}$を${V}$の関数と表すと次のようになる。
$$
P=B_0\ln\dfrac{V_0}{V}\tag{2}
$$
${V_0}$は圧縮前の、${V}$は圧縮後の体積である。さらに、鉄球は球形であるので、圧縮前と後の直径をそれぞれ${r_0}$と${r}$とすると、体積の相似比の関係から次の式が成り立つ。
$$
\dfrac{V_0}{V}=\dfrac{r_0^3}{r^3}
$$
この式を式(2)に代入すると、
$$
P=3B_0\ln\dfrac{r_0}{r}\tag{3}
$$
と式を変形できる。式(3)に柳田氏が見積もった直径を用いると、
$$
P=5.47B_0
$$

となる。したがって、${B_0}$を125 GPaとすれば、確かに柳田氏の結果を再現できる。

他にも叢雲氏がニコニコ動画に『【ゴリラ?】ジェンティルドンナの握力を計算したらヤバ過ぎる結果になった』にアップロードし、ジェンティルドンナの握力を求めている[6]。

この動画では実際にどのような計算で握力を求めたかが詳細に説明されているので、ここでは説明しないが、求め方は柳田氏が求めた手法と同じである。ただし、手のひらの面積や体積弾性率をどの文献から引用したかは不明である。さて、この動画で求められたジェンティルドンナの圧力は823 GPaであり、荷重は126万tであった。
柳田氏と叢雲氏の圧力の結果を比較すると、100 GPa程度の差異はあるものの、数百GPaのオーダーは同じである。両者の差は鉄球の体積の見積りと体積弾性率の違いに帰すことができるだろう。
この妥当性を議論する前に、圧力の大きさについて補足を加える。長さや重さなどの物理量とは異なり、ほとんどの人は圧力の大きさについてのイメージができないと思われる。これについては圧力の比較をご覧いただきたい[7]。

我々がよく目にする圧力は大気圧の1000hPa(ヘクトパスカル)だろう。これは1気圧と表すこともある。圧力の単位の前につくhやGはSI接頭辞とよばれ、hは${10^3}$をGは${10^9}$を表す。そのため、1 GPaは1万気圧と表記されることもあり、先ほど引用した、823 GPaは1気圧の823万倍の823万気圧となる。Wikipediaの圧力の比較の記事を見ると、823 GPaは地球の中心圧力(360 GPa)の2倍以上であるため、非常に大きな圧力であると感じる人が多いのではと思う。ただ、高圧物理に親しんでる私からすると*1、鉄球の体積が半分以下まで小さくなるための圧力としては非常に小さく感じる。

 

多くの人にとって馴染みのないことだと思うが、圧力下で体積を求める研究はよく行われている。鉄はふるくから知られている物質であるため、圧力下での物質研究の蓄積も豊富にある。英語のWikipediaには、鉄の圧力-温度相図について詳しく紹介されているページもある[8]。

このページの4枚目に室温における、鉄の体積の圧力依存性が報告されている。このグラフでは20 GPaまでのデータしか掲載されていないが、もっと高圧力下の300 GPaまでの報告もある[9]。この報告だと、常圧でモル体積が7.0 cm${^3}$/molであり、300 GPaでは4.2 cm${^3}$/molまで体積が圧縮される。これだけ聞くと、やっぱり圧力はその程度かと思う方もいるかもしれない。しかし、それ以下に体積を圧縮しようとした場合、圧縮するのに必要な圧力は発散的に増大するのである。これは多くの人の直感と合致すると思うが、例えば常圧近傍の低圧領域で体積を1 %圧縮するために必要な圧力が1 GPaであった場合、100 GPaの圧力領域で1 %程度体積を圧縮しようとしても1 GPa以上の圧力が必要になる。つまり、印加圧力が大きくなるほど圧縮に必要な圧力は増していくのである。これが意味することは体積弾性率が圧力下で大きくなるということである。

柳田氏と叢雲氏は式(1)を用いて圧力下の体積を求めているが、この式は体積弾性率が圧力下でも一定であるという重要な条件がある。つまり、式(1)を用いることができるのは、体積弾性率が同じであると仮定できる低圧領域だけなのである。この低圧領域がどの程度を指すのかは物質により異なるので、一概には言えないが、おおよそ10 GPaから20 GPaの間である。図2に式(1)から導出した規格化した体積の規格化した圧力の依存性を示す[10]。式(1)は${V/V_0}$が0.4程度まで直線的に圧力に比例し、0.2で立ち上がり、そして0で発散的に増大している。しかし、現実の物質は体積弾性率が圧力下で増大するため、圧力の発散的な増大はより小さい体積変化率から見られる。

図2 規格化した体積の規格化した圧力の依存性。図中の曲線は文献[10]のFig.1を私が改めて描き直した。



ここで、図1のジェンティルドンナの手にある圧縮前と後の鉄球の大きさを見てみると、その大きさは前と後で半分よりも小さくなっている。したがって、式(1)を今回の計算で用いることは不適当だと断定できる。

そしてここからが本題である。ではジェンティルドンナの手の握力はどの程度なのだろうか。本記事はより現実に即して、もっともらしい彼女の握力を求める。
何度か述べた通り、体積弾性率を一定であると仮定する式(1)を、ジェンティルドンナの握力の計算に用いるのは不適当である。
そこで登場する新たな式がバーチン・マーナハンの式(以下BH式)だ[11,12]。BH式は高圧領域まで幅広い圧力領域で成立する、体積と圧力の関係を表した式である。具体的には次の式で表される。

$$
P(V)=\dfrac{3B_0}{2}\left[\left(\frac{V_0}{V}\right)^{\frac{7}{3}}-\left(\frac{V_0}{V}\right)^{\frac{5}{3}}\right]\left\{1+\frac{3}{4}(B_0'-4)\left[\left(\frac{V_0}{V}\right)^{\frac{2}{3}}-1\right]\right\}\tag{3}
$$

ここで${B_0}$は先ほどと同じく体積弾性率で、${B_0'}$は${B_0}$の微分を表す。${V_0}$は圧縮前の基準体積で、${V}$は圧縮後の体積である。注意していただきたいのは、体積から圧力を求める場合は、圧縮前と後の体積比がわかればよいので、体積の絶対値は不要だということだ。

ここから実際にジェンティルドンナが鉄球に加えた圧力を求めるが、もう一つ考慮しなければならないこととして、熱力学的条件がある。高校/大学の物理で習う通り、物質に対して外から圧力を加えると、物質の内部エネルギーが上昇する。この時2つの条件が考えられ、ひとつは物質が内部エネルギーを溜め込み温度を上昇させる場合(断熱変化)と、もうひとつは熱として放出して温度を一定に保つ場合(等温変化)である。固体の圧縮では断熱変化と等温変化では体積弾性率の値が異なるため、どちらの条件が適しているかは検討しなければならない。ジェンティルドンナが鉄を圧縮する動画をみると、圧縮にかかる時間はわずか3秒程度であるため、ほとんど断熱変化に近いよう考えられる。ただ、後で理由を述べるが、この変化は等温変化と考える方が無難だろう。

もう一つ考慮すべき条件として、圧力の応力分布を考えなければならない。ただ、不均一な圧力が鉄球に加わると、鉄球は砕けてしまうため、等方的な圧力が鉄球に印加されてる仮定することが妥当だろう。

 

以上の準備をもとにジェンティルドンナの手の圧力を求める。

 

はじめに鉄球の体積変化率を求める。はじめの鉄球の直径を${r}$とすると、適当な画像解析ソフトを用いることで*2、圧縮後の鉄球の直径は0.18${r}$であることがわかる(図2)。

図2 圧縮前後の鉄球の大きさ

したがって体積の変化率${V_0/V}$は

$$
V_0:V=r^3:(0.18r)^3=1:0.0058
$$

になる。

次に体積弾性率${B_0}$とその微分${B'_0}$を考えるが鉄と言ってもいくつかの種類がある。今回は${\alpha}$-Feだと仮定して、それらの値${B_0}$=164 GPa、${B'_0}$=5.29を用いて計算する[13]。ただし、鉄球の結晶構造は10 GPaでα-Feからε-Feに構造変化するため、10 GPa以上ではε-Feの体積弾性率を用いなければならないが、本記事ではα-Feの結晶構造が維持されていると仮定する[8]。

これらの値をBH式に代入すると、ジェンティルドンナが鉄球に加えた圧力がもとまり、その値は1200PPa(ペタパスカル)になる。あまりにも大きすぎて私も理解ができない。ペタは${10^{15}}$を意味するので、10兆気圧に相当する、と言われてもまだピンとはこない。そこでwikipediaの圧力の比較をみてみると[7]、ペタパスカル領域の圧力は核弾頭の爆発時の圧力、太陽の核の内部の圧力に相当するということで、ハチャメチャに強い圧力であることがわかる。とはいっても、wikipediaに掲載されている最も大きな圧力の太陽の核の内部の圧力は250 PPaであるので、ジェンティルドンナの手の圧力1200 PPaに比べれば、ジェンティルドンナのての圧力がいかに大きいかがわかるだろう。

 

さらに、ジェンティルドンナが鉄球にした仕事を求める。等温変化を仮定しているので、BH式を始状態から終状態までを積分すればよい。Wolfram alphaを用いて計算すると、ジェンティルドンナが鉄球を握っている時、${3.4\times10^{15}}$ Jもの仕事を鉄球にしていることになる。先ほど断熱変化が不適当だと述べたが、その理由はここにある。もし断熱変化だとすると、膨大なエネルギーが鉄球に蓄えられことになる。蓄えられたエネルギーは鉄球の温度上昇に使われるが、固体の鉄球の比熱を0.444 kJ/kg K [4]、鉄球の質量をおおよそ3 kgだと仮定すると、ジェンティルドンナが鉄球を握ったとき、鉄球の温度は${2\times10^{12}}$ Kまで上昇することになる。実際には鉄の沸点は約2600 Kなので[4]、もし断熱変化だとすると、ジェンティルドンナが鉄球を握った瞬間に鉄は蒸発するだろう。しかし図1を見ると、ジェンティルドンナが潰した鉄球は固体状態を維持しているので、膨大なのエネルギーがどこかに逃げる等温変化だと考えるのが妥当だと考えられる。wikipediaでエネルギーの比較をみると[14]、${3.4\times10^{15}}$ Jはコバルトで作られた核爆弾や阪神淡路大震災で放出されたエネルギーと同程度である。

ジェンティルドンナは握った後の鉄球を何気なく持っているが、その実、その鉄球は核爆弾並みのエネルギーを秘めたとても危険なものになっている。シナリオを見ればわかるが、ジェンティルドンナが鉄球を潰すのはこの一回ではなく、これまでにいくつもの鉄球を潰してきた。その鉄球がどこに置かれてるかは不明だが、ジェンティルドンナに潰された鉄球がトレセン学園にたくさん転がり、なにかの拍子に鉄球が爆発すれば、トレセン学園だけでなく、東京都をも壊滅的な被害をもたらす可能性すらある。また、エネルギー保存則を考えると、鉄球に${3.4\times10^{15}}$ Jのエネルギーを与えるためには、それに相当するエネルギーがジェンティルドンナが有していなければならない。

ここまでくると、ジェンティルドンナが鉄球を捻り潰したことが以下に荒唐無稽かがわかるだろう。物質研究において圧力を使うことはありふれたことであるが、その圧力はせいぜい300 GPa程度である*3。したがって、鉄を元の直径の0.2倍まで圧縮するために必要な圧力が1200 PPaで充分かは現代の高圧物理では答えられない。もしかすると、1 PPaでは原子間の他の相互作用が強くなり、もっと高い圧力を要することも考えられる。しかし、いずれにしても、ジェンティルドンナが並外れたという表現では言い表せないほどの怪力の持ち主であることに変わりない。


[1]柳田理科雄, X, https://twitter.com/KUSOLAB (2024)
[2]茶っプリン, "『ウマ娘ジェンティルドンナの最大筋力は570万t以上!?マンガ・ゲームを科学的に調べる「空想科学研究所」の検証が話題に",  Yahoo!Japan ニュース, 2024年2月28日, https://news.yahoo.co.jp/articles/cd993214af05e9643c23229a6879c23777b70344 (2024年4月24日 閲覧)
[3]東京大学工学教程編纂委員会 編, 『材料力学 材料力学II』, 東京大学出版会 
[4]国立天文台, 『理科年表』, 丸善書店, 2013
[5]柳田理科雄, "空想科学研究所 ―有名映画のおうちシーンを考察してみた". LIFE LABEL, 2022年8月25日, 
https://lifelabel.jp/magazines/514/#:~:text=%E6%88%90%E4%BA%BA%E7%94%B7%E6%80%A7%E3%81%AE%E6%89%8B%E3%81%AE%E3%81%B2%E3%82%89%E3%81%AE,600%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 (2024年4月24日 閲覧)
[6]叢雲,"【ゴリラ?】ジェンティルドンナの握力を計算したらヤバ過ぎる結果になった", ニコニコ動画, 2024/02/26 (2024年4月28日 閲覧) https://www.nicovideo.jp/watch/sm43452515
[7]「圧力の比較」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』, (2024年4月24日 閲覧) http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=387353
[8]「Allotropes of iron」『Wikipedia, the free encyclopedia』, (2024年4月24日 閲覧) https://en.wikipedia.org/wiki/Allotropes_of_iron
[9]H. K. Mao et al., "Static compression of iron to 300 GPa and Fe0.8Ni0.2 alloy to 260 GPa: Implications for composition of the core" J. Geophys. Res., 95, 21737 (1990)
[10]桂 智男 et al., "バーチ・マーナハン状態方程式の平易な導出と他の状態方程式との比較" 高圧力の科学と技術, 30 (2020)
[11]F. Birch, "Finite Elastic Strain of Cubic Crystals" Phys. Rev.71, 809 (1947)
[12]FD. Murnaghan, "The Compressibility of Media under Extreme Pressures". Proc Natl Acad Sci USA 15, 244 (1944
[13]M. W.Guinan et al., "Pressure derivatives of the elastic constants of α-iron to 10 kbs" J. Phys. Chem. Solids 29, 541 (1960)
[14]「エネルギーの比較」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』, (2024年4月24日 閲覧)
[15]Zs. Jenei et al,m "New dynamic diamond anvil cells for tera-pascal per second fast compression x-ray diffraction experiments" Rev. Sci. Instrum. 90, 065114 (2019)

 

*1:仕事では10 GPa程度の圧力を発生させることがよくある。100 GPaの圧力を発生することもないわけではないが、そんなに頻繁に行う実験ではない。

*2:本記事ではImageJを用いた

*3:瞬間的なパルスの圧力であれば1 TPa達成できることが報告されている[15]。ここでいう300 GPaは平衡状態の圧力を指す。